飴細工の歴史
ここでは飴細工の歴史について紹介します。
※あめ細工吉原では、飴細工の歴史的背景も大切に考え、歴史調査と検証をおこない、現状の段階で下記にわかりやすくまとめました。現在も調査を続けている為、進展があり次第で追記いたします。
飴細工のはじまり
日本では飴は古来人々の暮らしに根差してきました。そのなかで飴細工は、江戸時代中期にはすでに存在したと考えられています。当時江戸の街中では、楽器を鳴らす、口上をのべるなど様々な工夫をしながら飴を売る人々が居たという記録が残されています。そんな飴売りの形態の一つとして、飴細工の姿が書物、川柳、浄瑠璃などに描かれています。
たとえば、江戸時代後期の戯作家、十返舎一九の『方言修行金草鞋』第十五編(図1)、十六編(図2)、二十五編(図3)には、寺の境内で飴細工を作る男が登場します。
また、江戸時代後期の風俗を描写した喜田川守貞の『守貞謾稿』にも飴細工が紹介され、「飴細工というのは、(中略)これをこねて様々な形を作るもので、飴の場合は水飴を丸めて葭の頭につけ、息で吹いて中空の円形を作り、これを、それぞれの形に作り、あとで赤・青の彩色をつける。はじめは鳥の形が多かったので、俗に〈飴の鳥〉といった。上方では、息で吹く前の品を売ったので〈吹かけ〉ともいった」(現代語訳は花咲一男著『江戸行商百姿』より)とあります(図4)。
さらに江戸時代中期から幕末まで当時流行した川柳を集めてほぼ毎年刊行されていた『誹風柳多留』には、
「引出して小鍋立する飴細工」(廿九編)
「泣やんで背中に留まる飴の鳥」(一ニ一編)
など、飴細工に関する作品が多数見られます。また人形浄瑠璃の代表的な演目のひとつである「菅原伝授手習鑑」(初演1746年)では、
「サアサア子供衆、買うたり買うたり。飴の鳥じゃ飴の鳥。」
という口上が演じられています。
飴細工の発祥地についてははっきりとわかりません。しかし世界に目を向けても、中国、韓国、タイにも細工された飴やその技を見ることができ、また西洋では洋菓子としての飴細工が存在します。飴細工の世界的な起源や伝播についてはわからないことが多いのですが、興味は尽きません。
飴細工の今
昭和の頃までは、お祭りや路上で飴細工を販売する人々の姿が各地で多く見られました。紙芝居と共に飴を楽しんだ思い出があるという方もいらっしゃるかもしれません。しかし、時代の移り変わりとともに屋外での食品の製造販売が難しくなった事などを理由に、飴細工を見かける機会は少なくなってきました。はっきりとした統計はありませんが、この原稿を書いている2018年現在、飴細工師の数は日本全国で100人に満たない状況です。
また、衛生観念の向上により息を吹きかけ膨らませる手法は、現代ではほとんど行われておらず、息で吹く前の品〈吹かけ〉にて作られる事が主流となっています。
飴細工に関する懐かしいエピソードや古い写真を探しています。
もしお持ちでしたら、下記までご連絡ください。
飴細工という日本文化の一つを研究・解明する為に使用させて頂きます。
【連絡先】株式会社あめ細工吉原
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参考文献一覧
「的中地本問屋」十返舎一九 作 1802年(享和2年)
「方言修業金草鞋」十五編 十返舎一九 著1822年(文政5年)画 歌川美丸
「方言修業金草鞋」十六編 十返舎一九 著1823年(文政6年)画 歌川美丸
「方言修業金草鞋」二十五編 十返舎一九 著1834年(天保5年) 画 北尾重政
「守貞謾稿」 巻6 生業編 喜田川守貞 著 1837年(天保8年)~
「近世商賈尽狂歌合」 石塚豊介子 著 1852年(嘉永5年)
「銀の匙」 中勘助 著 1913〜1915年(大正2年〜4年)※東京朝日新聞掲載
「江戸の飴売り」 花咲一男 著 1960年(昭和35年)
「みちのくの駄菓子」 石橋幸作 著 1962年(昭和37年)
「駄菓子風土記」 石橋幸作 著 1965年(昭和40年)
「駄菓子のふるさと」 石橋幸作 著 1967年(昭和42年)
「近世風俗志(上巻)」 喜田川季荘 1977年(昭和52年)
「近世風俗志(下巻)」 喜田川季荘 1977年(昭和52年)
「江戸行商百姿」 花咲一男 著 1977年(昭和52年)
「ふるさと駄がし歳時記」 佐藤喜久子編 1983年(昭和58年)
「木村仙秀集 六」木村捨三 編 1984年(昭和59年)
「方言修行金草鞋第4巻(訳)」 今井金吾 監修 1999年(平成11年)
「菓子の文化誌」ー「露伴の駄菓子論ー飴・煎餅」 赤井達郎 著 2005年(平成17年)
「飴と飴売りの文化史」 牛嶋英俊 著 2009年(平成21年)
「「むだ」と「うがち」の江戸絵本ー黄表紙名作選」 小池正胤 校注 2011年(平成23年)